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「育児パパ」になって「共感」を学ぶ。

 個人的にたいへん共感している多面体さんの記事 「あなたは悪くない | 二次加害をするのはこんな人」ブックマークコメント を見ていて気になったことがあるので、新たなカテゴリを追加してこちらで書いてみます。なお、このエントリに引用したコメントについては、話をわかりやすくするためだけに引用しているものであり、コメント主さんを批判したり、ましてや誹謗中傷する意図は一切ありませんので、あらかじめ申し添えます。


 まず、私自身は以下のようにコメントしたのですが、どうもこれだと舌足らずというか、何というか……自分が情けないです。

takayan 自戒も込めて。 // 「やさしさ」とは「人間の多様性を認め、他社の尊厳を尊重できる」ことであり、それは「(肉体的ではなく精神的な)強さ」の中からしか表出し得ない。 // 「共感」男性には難しい概念なんですよね。

 「やさしさ」という言葉も大変誤解されやすい言葉なので、「ほんとうの《やさしさ》」と表現したいのですが、いかんせん字数が足りない(苦笑)。それと、「自戒を込めて」というのは、私が日頃の言動において、常に気をつけなければいけない点として、です。


 で、ここからが本題なのですが、最後の《「共感」男性には難しい概念なんですよね。》の部分。たぶんこの一節にピンと来ない方は特に女性に多いと思いますし、逆に男性の方は「共感」という言葉自体にピンと来ない方が多いのではないかと。たとえば、だいたい「共感」という概念自体がわからないぞ、という例として、

yachimon シンパシーとエンパシーが対立して記述されているので、エンパシーが具体的にはどんなものかがよくわからない。ちょっと調べる。←ぐぐってもよくわからんので、引用元の本を買うことに… (※註:シンパシー=同情、エンパシー=共感)

 という方には、「共感とは」というキーワードで検索すると、解説サイトがいろいろあります。
 そして、それ以上に頭が痛いのが、

harutabe そのエンパシーさんの「大切なひとりの人」の席にシンパシーさんは決して座れないんだろ?それがどうして差別とは呼ばれないのか、俺にはわからない。

 意味がわかりにくいのですが(もし違って取っていたらごめんなさい)、ひとことで言ってしまうと、エンパシーさんは「大切なひとりの人」の席にすわって相手のこころと寄り添う意思があるのに対して、シンパシーさんはその意思がない。遠くにいて上から目線で眺めているイメージ、といえばわかりやすいでしょうか。シンパシーさんの立ち位置としてわかりやすいのが、

steam_heart 自分は被害者と共感してはいない。その立場に立ち得ないという外部から見ている感じ。

 というものです。もっと言うと、

suzu_hiro_8823 心理 メシウマ記事に興ずるひとたちと似てるような気がしますなぁ>『シンパシー(同情)』/(追加)というか、そのものか。自身にもそういう気がないかどうか自省しないとな。

 という解釈になる(それでいい)わけです。そうすると、誰が誰を「差別」しているのか、明らかになりませんか? そう、シンパシーさんが「差別」されているわけなのではなくて、シンパシーさんのほうが被害者の方を(多くは無意識に)「差別」しているんです。そこに気がつかないと、話が前向きに進みません。


 さて、この「共感」という概念、男性が身につけるのは結構難しいもの。少なくとも「論理的にものごとを考える」こととはまったく別次元なので、むしろ他の男性との、あるいはビジネス上のコミュニケーションの中で、そういう対応の必要性をまったく感じていない方も多いのではないでしょうか。で、男性がこれを身につけるための大きなチャンスが、表題にあるとおり「育児パパ」になること、なんですね。
 「育児」する中では、いまこの子はどう思って、何を考えてこのような行動(泣くとか暴れるとかごねるとか)に及んでいるのか、というところに思いを至らせないといい解決策が見えてこないですし、もっと大切なのは、連れ合いさん(配偶者、パートナー)やほかのママさんたちと情報交換したり喜びや悩みなどをシェアするタイミング。まずは相手の懐に飛び込んであげないと、相手が話を聞く姿勢になれません。「ならない」のではなく、「なれない」んです。相手が自分に寄り添ってくれている、ということがわからないうちは、相手に対する警戒を解くわけにいかないので、受け入れ体制が作れないんです。まずは相手の話を真摯に聞き、相手の感情をそのまま受け入れてあげること。相手がそう思ったことを認めてあげること。そのあとようやく、提案を聞いてもらえる状況になるわけです。ここを間違えると、コミュニケーションがうまくいかない、という悲しい結果になってしまいます。
 よく、子どもと話すときには相手と目を同じ高さにして、といわれますが、これは子どもに「上から目線で見ないよ」と伝えるとともに、自分自身が子どものことを受け入れられるようになるための自己暗示、という側面もあるのです。


 ここからもう少し多面体さんの記事に寄り添って書くために話が変わります。通常時でもそうなのですから、何かあったとき(たとえば性犯罪の被害者になったとき)には、身体だけでなくこころが深く傷ついていて、相手に対する警戒がさらに強くならざるを得ません。ですから、それを解くのはもっと大変なことになるわけです。そんなときに、

zatpek エンパシー的な人はシンパシー的な人の言動にイラついたりするんだろうか。/ロクに共感も同情も出来やしないので、「困ったことがあったら・・・」とぼそぼそ呟くぐらいしか。

 イラつくかどうかは別として、「かわいそうだねえ」とか、「困ったことがあったら・・・」(この言葉は、エンパシーを求めている相手にシンパシーの一種ととられてしまう可能性があります*1)なんて言われても、被害者の心は開きませんよね。むしろしっかり閉じてしまう。あるいは何らかの理由でうまく閉じることができなければ、被害者の心はさらに傷ついてしまうんです。

 そんなことならむしろ、

white_rose エンパシーにならないのもそのひとにとっての自衛だったりするからなぁ。無関心も。/誰も傷つけず傷つかない世界に篭もりたい

 という対応をしてくれた方がある意味助かるかも知れません。でも、このような自衛をしなければならないのだとしたら、そのようなあなたはまだ「精神的な強さ」を持てていない、ということを自覚してください。その自覚は、あなたが「精神的な強さ」を持つために変わっていくための第一歩になるはずです。


 ……とりとめもなく書きましたが、この記事が多面体さんの記事をきちんと解釈するための助けになれば幸いです。

*1:ただし相手の心が開いたあとならそれなりに有効。