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「女性や社会的弱者への支援」はいまこそ必要、という声が聞こえてくるような――青年劇場「真珠の首飾り」観劇記

 舞台を見たのは9月の19日。もう一ヶ月半も経ってしまっていて、遅きに失した感もあるのですが……今回は、私の立ち位置の話も交えて、語ってみたいと思います。

 劇の舞台は第二次世界大戦敗戦の翌年の日本。GHQ民政局のメンバーによって秘密裏に行われた「憲法草案」(劇題はその作戦名に由来する)の作成にあたってどんな人間ドラマがあったのか、を「ベアテ・シロタ」(のちに「ベアテ・シロタ・ゴードン」)の立場から描く内容になっています。ジェームス三木氏による名脚本、青年劇場の宝物であるこの演目を、今回は劇団内文芸演出部の板倉哲氏が演出しています。

 「ベアテ・シロタ」は、他の二人の男性とともに「人権条項」の起草を担当しました。彼女は当時まだ22歳の若さでしたが、ヨーロッパで発達しつつあった「社会権*1の重要性を認識しており、また日本での経験から特に女性の立場が弱いことをよく知っていたことから、特にいまの第24条(婚姻と夫婦同権)、第25条(生存権)を中心に起草し、いろいろな批判を受けつつも、女性や弱者の権利を強く主張していったのです*2

 さて、ここでいったん話は脱線しますが、私はネットの世界には「育児パパ」として足を踏み入れました*3。そこで私が見たものは、父親の影の薄さと、孤独な育児に悩む多くの母親の姿だったんですね。「レッシーぱぱの家」は、そんな状況を憂えていたことから、特に「育児パパ・コーナー」では、「実践」から離れて、それ以前に必要な「父親としての心構え」を中心に書き綴っています。そして、この状況はおかしい、と思った私が次に踏み込んだのが「ジェンダー」と「セクシュアリティ」のフィールドでした。「女性」はもちろんのこと、それだけでなく、いわゆる「セクシュアル・マイノリティ」や、(育児中に交流した仲間を通して)「子ども」や「障害者」の問題にも触れ、私の「人権」特に「社会権」意識がだんだん育っていったのはこの頃です。やがて子どもが大きくなるに連れ、「教育」問題にも「親」ととして興味を持ち……そうやってネットでのひとつの人格*4ができあがっていった結果が、現在の私のTwitterアカウントの一つ「@ressii_papa」です。この観劇記を読者の皆さんにご理解いただく上で、このような私のバックグラウンドに触れざるを得ないと思い、あえて脱線しました。

 閑話休題。こんな私にとって、劇前半での「こうあって欲しいと望んで書いた草案」が「長すぎる、具体的すぎる」と批判されて悲しむベアテ・シロタの姿は、強く私の胸に焼き付いてきます。その思いを、舞台上のベアテ・シロタは、語り手としてのベアテ・シロタ・ゴードンにぶつけていきます。語り手は、それを優しく受け止め、温かく見守っていきます。この演出がなかったら、私は落ち着いて舞台を見続けていられなかったかも知れません。後半になって、粘り強い主張が功を奏して、ベアテ・シロタの書いた条項はGHQ憲法草案の中に取り入れられることになりますが、そこから「そぎ落とされたもの」の多さは、私達に「この憲法を、この条文を、主権者としての市民一人一人がどう活かすか、それこそが大切なのだ」という「基本」の再認識を強く促してきます。

 自由民主党憲法草案でも、第24条と第25条とを組み合わせると、「家族が助け合えていないせいで貧しい場合には、国の保護が得られにくく」なる*5など、生活弱者への「最低限のセーフティーネット」であるところの「生活保護」に対し、さらなる締め付けを図る条項になっています。また、「男女共同参画基本法」に基づく「第4次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」が、特に「6 生涯を通じた女性の健康支援」の項で「女性はライフステージに沿ってこのように活動していかなければならない、という「国家による定義づけ」が書き込まれていて、これに沿った「活躍」しか期待されていない」*6内容を含むほどに、女性の扱いについて差別的である(「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」の考え方に基づかず、軽視している)ことは、第24条が本来の「狙い」としたはずの「男女同権」「男女平等」の実現をさらに遠ざける方向に進もうとしているかのようです。そのような状況に対し、この舞台でのベアテ・シロタ、そして語り手のベアテ・シロタ・ゴードンは、《いまこそ女性や社会的弱者への「差別的待遇の禁止」と「正しい方向への国家による支援」とが必要な時だ》と訴えているように、私には聞こえてなりません。

 純粋な劇評(※ここから先は敬称略)としては、その脚本の素晴らしさについてはもう語る必要もないでしょうが、脚本が特に女性にスポットを当てたものであることに呼応するかのように、女性演技陣の演技に大変見るものがありました。初舞台で大役を仰せつかった高木アヤ乃(ベアテ・シロタ役)のまさに体当たりの演技を、ベテランの語り手・昆野美和子(ベアテ・シロタ・ゴードン役)がしっかりと受け止める。こういうぶつかり合いから、若い力の成長を見るのは、演劇を愛好するものにとっての至上の喜びの一つです。今年の青年劇場は、「オールライト」*7での片平貴緑・藤代梓の二人にしろ、この高木アヤ乃にしろ、昨年の若い男性陣に続き、若い女性陣に見るものが多く、劇団五十周年を期に、これらの若手が新時代を切り拓いていく担い手となる強い脈動を感じます。また、運営委員会書記ルース・エラマン役の大嶋恵子も、職務に忠実な中に女性としての主張や平和への願いを織り込む、その立ち位置の明確な演技で奮闘著しいものがありました。舞台装置や照明は極めてシンプルな中に人間ドラマをより際立たせ、地道な中にも主張すべき点はしっかり主張する演出を助けました。

 今回は、まさに「戦争法案」の国会審議中という(もちろん狙ったわけではないのですが)絶妙なタイミングでの上演となりましたが、今後も劇団の宝物として、機会を見つけては再演していって欲しい作品です。

*1:人権には大きく分けて「自由権」と「社会権」(と「その他の人権」)とがあり、「自由権」は「国家が個人に介入することを排除して個人の自由を保障する権利」、「社会権」は「社会的・経済的弱者が人間らしい生活ができるように国家の積極的な介入を求める権利」と定義できる(「憲法をわかりやすく」第2部 第5章 基本的人権の原理 三、人権の内容」より)

*2:この項、劇のプログラム中にある古関彰一先生の寄稿文「若き『改革者としての情熱』こそ」を参照しました

*3:それ以前から仕事で社内のネットワークは使っていましたが、外向きのネットでの活動、という意味では、いまはなきNEC運営の育児ママ・パパ向けフォーラム「いくじ~ず」が最初です

*4:私の実人格はいわゆる「多重人格」(現在の正式な診断名は「解離性同一性障害」)ではありませんが、ネット上では訳あって「ネット多重人格者」です、お忘れなきよう

*5:自民党憲法草案の条文解説(前文~40条)より

*6:「第4次男女共同参画基本計画」パブコメ締切日に慌てて読んでいる人たちの所感。 - Togetterまとめ 参照

*7:劇評書けなくてごめんなさい。来年からの巡演でで多数見るであろう中学生・高校生にとって、これからの人生をどう生きるのか、という根源的な疑問を通して、自分を見つめる、あるいは見つめ直すための素晴らしい機会となることを確信します、とだけ記しておきます。