主役は主演とは別の人でした――トム・プロジェクト公演『たぬきと狸とタヌキ』感想

 化かされて困惑したのは私の方でした。

(「続きを読む」以下はいつもの通り敬称略です)

 作・演出の田村孝裕が、トム・プロジェクトの力を借りて『雪まろげ』から出演者を連れてきて上演する第一弾(?)*1『たぬきと狸とタヌキ』を両国シアターX(カイ)にて観賞してきました。「劇評」と言うには毒舌すぎるかも知れないので、こんな「感想」を持った人もいる、ということでなにとぞお許しを。
 もう一つ、社会問題について取り上げている部分については、私が青年劇場さんの舞台を見すぎているせいで、それらと比較するのは、この演目側にハンディキャップがあまりに多すぎるため、この観点については他の方にお任せしたい。

 私は、「喜劇」というものが成立するためには、「どの主要登場人物にも、『この人は愛すべきところのある人物だ』と思えるようにキャラクターメイキングしておく」こと、という条件があると思っているのだが、残念ながら、この舞台の登場人物五人の中で、そのことを感じさせたのは一人だけだった。

 以前にも私は「劇中の登場人物に感情移入して劇を観賞する」と明言しているのだが、この作品ときたら、ほとんどすべての場面が、舞台上にいる少なくとも誰か一人、場面によってはそこにいる全員にとっての「修羅場」という構成になっていて、とても笑うどころではなかった。その上で、一応主演ということになっているヘルパーをとりあえず除いて、皆"表"と"裏"の顔が大違い、それを場面によって演じ分けていくわけだが、少なくとも"表"と"裏"の顔どちらかが『愛すべきところ』に見えたキャラクターは、介護対象である母親(岡本麗)ひとりで、あとは主演も含めていずれもダメダメ、というなんとも悲惨なことになっていて、これはもう「喜劇」ではなく単純に「シリアスな場面の続く悲劇」になってしまっているように、少なくとも私には思えた。原因は、「化かし合い」の内容を充実させすぎてうまく「喜劇」にしきれなかった作・演出者の側と、「私は愛すべき人物」と思えるような演技ができなかった役者側との両者にあると思う*2が、実際に百数十人の観客が一斉に笑う場面がほとんどなかったように見えたことからも、私の所感はそれほど大きく間違っていないのではないか、と思う。

 さきほど名前を挙げた岡本麗については、演技がよくこなれており、「愛すべき人物」である面もきちんと見せられていて、「主役」というにふさわしい活躍を舞台上で見せた。カゴシマジローと生津徹は、脚註2の理由で損をし、娘役の小林美江は対・母親と対・担当との演じ分けも必要でキャパシティ・オーバーしていたように見えた。そして主演と言われていた榊原郁恵が演じるヘルパーについては、《"表"の顔がよく描かれすぎているせいで、事実が明らかになったときの"裏"のどす黒さだけが妙に印象に残る》という、この演目最大の誤算が生じていた。『雪まろげ』の《"表"の顔は金に汚く醜いが、実は人情豊か》とは逆の方向を狙ったのだろうが、これでは「喜劇」の登場人物としては成立しないように思われる。「主役は主演とは別の人でした」というのは、そういうことである。

 私がこの舞台に最も期待したことは、榊原郁恵がコメディエンヌとして本格的に認められるかどうかが今回の舞台で試される、ということであったが、私の期待は見事に裏切られた。「化かされて困惑した」というのは、そういう意味である。

*1:ちなみに第二弾は柴田理恵を連れての『狸の里帰り』

*2:個人的意見になるとは思うが、ホンネを言っておくと、《「こいつは馬鹿だ」と思えることは、「愛すべき人物だ」と思えることとは必ずしも一致しない》ということには注意が必要だろう