「検察リーク」という「事象」の裏に隠されている、ほんとうの「目的」


 今回もいくつかの事象をリンクさせてみます。


 個人的に検察のリークそのものを批判するのは、ある「目的」のための「手段」を批判しているだけであって、その「目的」を批判するものではないがために、検察としては全然怖くないのではないかと思うんですよね。では、検察の「目的」とは何か。
 「取り調べの可視化」を組み込んだ法律の成立・施行阻止
に違いないと思います。


 足利事件の再審法廷で取り調べの録音テープが延々と流された、という報道がありました。なぜか「自白に転じるところで菅家さんが一時退廷した」ということばかり報道されていますが、取り調べの録音テープが延々と流される、ということ自体が検察としては極秘事項を一般公開されて赤っ恥をさらしているわけなのであって、彼らも拳を固く握りしめて「許せん……!」と思いながら推移を見守っていると思うんですね。


 で、その検察が「取り調べの可視化」を阻止するために頼ったのがマスコミ。原口総務大臣が外国特派員協会で「プレス(新聞)と放送が密接に結びつくことを禁止」する法律を作りたい、とぶち上げたことで、新聞業界と放送業界は恐怖に震え上がっています。日本のテレビおよびAMラジオ局(キー局およびその系列局)は、ほとんどがクロスオーナーシップによって支えられているので、クロスオーナーシップを禁止されると壊滅しかねない。そんな総務大臣のいる内閣は何としてでも潰したい、と抵抗するのは目に見えています。


 そこで検察は、「マスコミさん、あの内閣潰したいですよね? うちも同じですよ。どうですか、あの内閣を潰すのに絶好のネタがあるんですが、乗りませんか?」と出た。それが、小沢幹事長絡みのあれこれ、ということになるんですね。これが「検察によるリーク」の持つ意味。


 よって、あなたがもし、「クロスオーナーシップの禁止」や「取り調べの可視化」に賛成するのであれば、批判すべきは「検察のリーク」そのものではなく、検察とマスコミとが一緒になって民主党内閣を潰そうとする動きである、ということになります。くれぐれもお間違いなきよう。


#だいたい、あったかどうか確認できない「検察のリーク」をさもあったかのように批判するのは(以下略)、という話でもあるとは思いますが。