日本に《社会》がないがゆえに。

女のひとが出産したり育児の中心にならざるをえなかったりするのは「社会全体のハンディ」で、「働く女のハンディ」なんかでは全然ない

というガメ・オベールさんの指摘(kobeniさん、 - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見)を読んで、小田嶋 隆さんが「日本には世間はあっても社会はない」 とコラムに書いていた(伝書鳩がつぶやくのは、誰のメッセージなのだろう:日経ビジネスオンライン:3/7ページ)のを思い出しました。


これらをリンクさせると、「日本には《社会》がないので、《社会全体のハンディ》という実感を持つことは不可能。そして、《社会全体のハンディ》がわからない人間が《社会》から追い出されることも当然なく、逆に《社会》がない代わりに存在する《世間》は、《世間体》というとてつもなく便利なものさしを使って、《社会全体のハンディ》がわからなくても《世間体》のものさしが指し示す方向に忠実な人間なら守ってしまう」ということになるんですね。
kobeniさんのブックマークコメントは、そのことを痛切に実感した上でのものだと思うのです。


※「世間はあっても社会はない」状況をいいかげんにぶち破っていかないといけない時期にこの日本も来ている、と私は強く思います。